松本香織のオルタナティブログ

オルタナティブなヒーリングスペース「四季ノ空」。和歌山県橋本市で脳の断捨離アクセスバーズ

自分の好きなこと、したいことがわからない?

わたし、中学生くらいからかな?わりと最近まで、「自分の好きなことがわからない」「したいことがわからない」っていうことが密かなコンプレックスでした。。。

 

よく、自己啓発とかのワークでも、

「子どものころから好きだったことを思い出してみましょう」

とか出てくるけれど、それもいまいちそんなに出てこない。

 

でも、

わかったんです。

 

「自分の好きなことがわからない」「したいことがわからない」その原因はいくつかありました。

 

1、やりたくないことをやりすぎていた

2、やりたくなくてもやらねばならないと思っていた

3、やりたいことがわかる前にやりたくないことをやめる勇気を持てなかった

4、やりたくないと自覚していなかった

5、やりたいことがわからないということを、現状維持の言い訳にしていた

6、好きなことが自分オリジナルなために、それを表現する言葉が既存の単語の中でうまくヒットしなかった

 

という感じです。

 

1~5は仲間ですね。

1~5があるために、やりたいことがわからなかった。

 

つまり、心身ともにやりたくないことややらなければいけないと思い込んでいること、そしてそれらを遂行させるためのプログラム(やりたくないことというパワーがかかることをやるために必要)でいっぱいで、やりたいことが圧殺されていたんですね。

 

これらに絡んでいるものとして、

・お金の心配(しかも直視しきれていない)

・他人の目線(というか実際は自分の中で想定してる他人の目線)への怖れ

・自分の人生への、腹のくくれてなさ

があったなあと思います。

 

よく、何をしたいかわからなくても嫌なこと(会社とか)を先にやめたほうがいいのか、それともある程度安心材料(次の仕事のめどどか)がついてからやめたほうがいいかと言うことで悩む人がいます。

どちらがいいかは人によって違うけれど、これらを手放せていないと、やめても不安で結局前と同じような状況を自分で作ってしまうと思う。

ある程度手放す、あるいはまず自覚できていれば、嫌なことを勇気を持ってやめると、それをしていた時間に加え、それを自分にさせるためにフル稼働していたプログラムが動かなくてよくなるので、いっきにスペースが増え、自分の心身の向きがガラッと変わります。

わたしも体感したので、また今後書いていきますね。

 

 

6は、そのまんまなんですが、好きなことが例えば、「野球」「映画鑑賞」「おもてなし」「人を笑わせる」とかだとわかりやすいんだけど、そうじゃなくて、自分独自の物事の見方とか切り取り方、角度みたいなものだと、うまく言葉にならない。

 でも、何か、それを表すものに近い単語だとか物事、人とかに出会ったときに、いっきに今までのいろんなことがつながって、「ああ、自分はこういうものが好きだったんだ!」ってなる。

わたしについて言えば、「オルタナティブ」という単語がそれで、その切り口から見たときに、過去のいろんなことがバババーっとつながって見えた。

それでもまだそれが完全に表現してくれるわけではなくて、糸口みたいなものなんだけど、ひとつの単語では無理な以上、言葉はもちろん、いろんな方法で、人に対して、そして自分に対して表現していきたいと思います。