松本香織のオルタナティブログ

オルタナティブなヒーリングスペース「四季ノ空」。和歌山県橋本市で脳の断捨離アクセスバーズ

アクセスバーズ™のご感想

アクセスバーズ™を受けてくださった方のご感想を紹介します。

 

J.Tさん アクセスバーズ™60分

【施術中】

受けている間、頭の後ろのほうがずっとじんじんしていました。

なぜか子どもの頃のことがいろいろ浮かんできました。

施術中ずっとしゃべっていたんですが、しゃべっているというより何かにしゃべらされていたような感じで不思議でした。

 

【施術後】

なんか頭がスッキリしてます!

なんて表したらいいのかわからないけど、脳みそが軽くなった感じ?!

(↑それはいいのか!?笑)

 

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ありがとうございました!

 

「脳みそが軽くなった感じ

(↑それはいいのか!?笑)」

     ↑

これはおもしろいですね!^^

確かに、世間では思考が足りない人のことを脳みそが足りないとか頭が軽いと表現しますものね。

でもアクセスバーズ™の世界では、むしろ思考を手放すことが推奨されているんです^^

びっくりしますか?

「よく考えること=よいこと」というのは疑う余地がないというのが常識ですよね。

 

でも、思考で、「Aである、といことは次にBしよう。Bということは次はCだな」という風に進んでいくことは、一直線上で広がりが少なくなります。

よく考えることによって、Bをできる確実性、Cをできる確実性は高まりますが、予測の範囲内、の未来になっていきます。

不要な思考を手放し、過去や過去性(!)から蓄積された膨大な記憶を消すことで、人間が本来持っている気づく力、察知する力がピッカーンと冴えて、想像もつかなかった方向に広がりがもたらされます。

 

ピラミッドを古代の人たちがなぜ作れたのか?と現代人は不思議がりますが、思考と知識を基に作ろうと思ったら当時ではできるはずがない、ということになる。

でも、気づき、察知する力が現代人よりずっとずっと高かった彼らには作れた、ということなのではないかなとわたしは思います。

 

 

☆アクセスバーズの施術時間や料金はこちら

https://kaorino.hatenablog.com/entry/2018/07/06/150444

アクセスバーズ™のご感想

アクセスバーズ™の施術を受けられた方のご感想です。

 

アクセスバーズ™って、受ける人によって感じ方はさまざま。

わたし自身、毎回感じ方が違います。

創始者のギャリ―・ダグラスは、「最悪でもきもちよいマッサージを受けたような気持ちよさ、最高なら人生が変わる」と言っていますが、わたしも本当にそう思います!

 

今回受けられたA.Sさんは、理学療法士さんですので、感想を読んでみると身体に関する認知と表現がすごくてびっくりです。

理学療法士としてではなく個人として書いてくださった感想です。


身体にもメンタルにも大きな影響を感じていただいたようで、うれしいです。

 

A.Sさん 施術内容:アクセスバーズ™90分

【施術中】
施術を受けている最中は、不思議な感覚を感じていた。
苦しくも痛くもないのに涙がスルスルと出て行った。
大きくて柔らかな、楕円形をした二本のシャボン玉のようなものが、ふんわりとほんの少しの圧をかけながら頭頂部に近い眼の奥から足底方向へ向かって身体の中心に空洞をつくるように、身体内の何ものかをすーっと静かに撫で取りながら抜けていくような感覚を感じていた。
足に触れてもらった後あたりから、少しずつ身体全体が重く感じて(痛みを伴うような嫌な重さではなく身体の各部位が本来感じるはずの重力に身を任せられているような感覚)、ベッドへ身体が流れ溶けていくように身を委ねることができた。
痛み・痺れ・だるさはなく、心地よい重さにより身体背面の感覚がクリアーになる感じがした。
背面の方が意識できるようになり「あ、自分の体はここまであったんだ」と気付き、
頭の中で、理論的に分かったつもりになっていた自分の身体の地図、ボディイメージが、実は知らず知らずのうちに偏ってずれていた事に気が付けた。
気付けたことで、『自分の身体と認識できる範囲』が増えた。今まであったのにうまく使えていなかった。
呼吸もしやすくなり胸郭の動きが良くなった。
一度の呼吸で多くの換気ができる感覚があるので、その分呼吸数を減らしてもまかなえているのか。浅くて回数が多かった呼吸が、ゆったりと深い呼吸へ変わった。
同じように、内外のボディイメージが変わり身体の各部位が心地よく無理なく本来の役割を果たせるようになったからなのか、右肩の痛みが減った。
いつも眼の奥、鼻の奥が重く詰まっている感じだったが、軽減した。
 
歯の食いしばりや歯ぎしりで、歯科医にもすり減りや歯の割れを指摘されていた奥歯。
朝起きると奥歯とその周囲に力が入ったままで、こめかみから顎・口の周りにうっすらと疲労を感じて起きることが多かったが、気付くと食いしばっている時間が減っている。
 
最後、側臥位になって行ってもらった施術では、
背骨一つ一つの間のスペースが拡大するような、背が伸びたような不思議な感覚。
頭の上部、後頭部が柔らかくふっくらと大きくなったような感覚。
実際の外見、形態は変わっていないが今まであったけど認識できていなかったものに気付いたことで自分の身体内外に拡がりや奥行きを感じた。
 
【施術後】
人の多いところが苦手で、ただそこに居るだけでも疲れるのでここ数年はできるだけ近づきたくないという気持ちだったのが、拒否感が減少している。
こうあらねばばらぬ、に如何にがんじがらめになっていたのかが分かったし、自分がそういった状況にある、という事を自然と受け止めることができた。
受け容れられているかはまだわからない。
今までは、その状況に自分があるという事を認めてしまったら、その後「どのようにそこから次の一歩を出せばいいのか」という恐れが大きく、がんじがらめになっている自分の状況を見ないふりして力業で進んでいたように思う。
思考にしても身体の認識にしても、そのまま、ありのままでなく自分でつくりだした範囲(制限)内で生きようとしているという事に、驚きとともに気付くことができた。


……


ありがとうございました!



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手放すとこ間違えてたんだな~

こんにちは。

暑いですね~!

わたしは7月生まれなのもあってか?夏は好きです^^

 

さて、わたしは、10年くらい前からかな?なんだか生きづらいなあと思って、いくつか自己啓発本を読んだりやスピリチュアルな方法で「感情の手放し、解放」をしようしてきました。

でも、最初のうちは効果あるかな?と思っても、なんだかいまひとつうまく進んでいかない。

 

それがなぜだったのか、いまでははっきりわかる。

 

手放そうとする、解放しようとする感情が違ってたんだ。

 

わたしが手放そうとしてた感情の、もういっこ後に出たやつをまず手放さないといけなかったの。

 

わかりにくいと思うので具体的な例を書いてみます。

例えば、これは最近実際にわたしが感じて解放したものなんですが。。。

 

-----

誕生日に、お母さんから封書が届いた。

   ↓

「もしかしたらカードと一緒にお金も入ってるかも♪」

   ↓

開けてみたらカードだけ。

   ↓

「な~んだ」(ちょっとがっかり)

   ↓

「え!お母さんがこんなに心込めてカード書いてくれたのに。

お金期待してがっかりするなんて、わ~がめついな。そんなのダメダメ。」


 ※実際には今のわたしはここで「ダメダメ」とは思わないんですが、こうしておきます


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以前ならここで、「がめつさ」を手放そうとしてたんです。

でも、そうじゃないんだよね。

 

まずするのは、「がめつい自分はダメ!」ってしているところ、そこを手放す。

解放する、クリアリングする。

 

そうすると、がめつい自分も認められて、「そっか、わたしそう思ったんだね。以上」それでおしまい。

お母さんのカードに対する感謝にも何も影響ないし、なにより自分を否定するってことがない。

 

不要な感情を手放す、解放する、捨てる、っていうときに、「自分のダメなところ、汚いところをなくさないと!」って思ってると、結局、自分にダメ出しをして自己否定するってことになる。

 

「自分はダメだ」っていう前提に立って自己否定を握りしめたまま、「ダメなところ消す!」って思ってると、消そう消そうとするたびに「自分はダメ」を再認識してしまう。


 自分の「ダメ」(と思ってる)なところも含め、すべて直視して認めるって肚がまず必要なのかなって思います。

誰かの目線での自分の「ダメ」なところを、よく見もせずに、誰かや何かに消して〜って頼んだって、結局また同じように「ダメ」なところ作り続けてしまうんじゃないかな。

 

 

 

【満席】8月8日ギフレシ会

初のアクセスバーズギフレシ会を開催します。

 

ギフレシ会とは、アクセスバーズの資格を持った人が集まって、お互いにアクセスバーズの施術をし合う会です♩

 

日時 8月8日(水) 10:00〜14:00 
参加費 500円

お昼を挟んで90分ずつギフレシしたいと思います。
お茶とお菓子はこちらで用意しますが、ご自身のお昼ご飯をお持ちください。

 

申し込みは、kkaorim☆gmail.comまで、タイトルを「ギフレシ会参加希望」としてメールをください。

(☆を@に変えて送信してください。)

可能性

10年ほど前。

東京でブイブイ仕事してた頃。

 

その前までわたしは自分に自信がなかったんだけど、そのときの仕事、とっても向いている仕事をさせてもらっていて、ノリノリだった。

 

で、ある時、チャリで立ちこぎ(基本タイトなスーツだったため、座りにくい。笑)して駅に向かいつつ頭に浮かんだ。

「幸せって、未来に可能性を感じられるってことかも!」

 

その頃、ノリノリだったから、何でもできる、何にでもなれる、っていう気がしていたんだな。

 

でもね、そこから数年経って、しんどくなった。

行き詰ってきた。

最後には焦燥感でいっぱいになった。

その仕事辞めて、離婚して、小さい子どがいて、わたしはほんとに何かできるの?何かになれるの?

 

苦しいトンネルに入っているみたいな時期を経て、いま思うこと。

 

可能性って、未来に見るものじゃないよね。

未来未来って思ってたから、年齢というものに影響されて、どんどん焦り苦しくなってたんだ。

そもそも未来って言ってる時点で先延ばしというか今を直視してなかったんだね。

 

そうじゃなくて、「今何を選ぶ?」「今何をする?」「今どうしたらもっと広がる?」って問いかけて、今、の可能性を見るってこと、そして、前よりちょっと勇気を出して行動しようという覚悟さえあれば、今可能性はいっぱいあって、「できていない」ことは自分が選択していないというだけなんだなあって。

 

「今を生きる」ってよく聞くけど、ようやくそれがつかめてきた気がする。

以前は、今を生きようと思っても、それを邪魔する思考とか思い込みとか刷り込みとかが頭にも心にも身体にもいっぱい詰まっていたから、それを見ないようにして楽しもうとしたって、どだい無理だったんだ。

 

どんどん軽くなって、もっと楽しんでいこーっ^^

上も下もないって、なんて楽なんだろー!

昨日は、ひとつ前の記事に書いたふんどし育児のお話し会だったのですが、そのとき感じたこと。

 

わたし、この2年くらい、そしてここ数ケ月で加速度的に生きるのが楽に楽しくなってるんですが、それを昨日も実感。

 

心がかき乱されるってことがすごく少なくなっているんだけど、その理由のひとつは、自分の中にあった「上」「下」ジャッジがなくなったこと。

 

以前だったら、「講師なんだから全部ちゃんと答えなきゃ」と気を張ったりとか、参加者の中に自営で素敵な活動をしている人なんかがいると「わ、こんな人が来てくれてる。大丈夫かな」とか(^^;)、心の中で勝手に自分が上か他者が上か、上下をジャッジして心が忙しかった。

ジャッジした後は、その上下に基づいてどう対処するかで忙しさが終わらない。

 

それが今は、すーごく楽。

自分が、「過去に作ってきた自分」を自分だと思いこむことから解放されてきて、ただ今やりたいことを選択するっていう風に生き方をシフトさせてきたら、他の人についても、肩書とかその人が過去(今の一瞬前までは過去)にやってきた活動が何かとかにあまり影響を受けなくなって、今そこにいる人とただただ今ここにいる自分として話せるようになってきた。

 

これは2年前のある日、「この生き方じゃ後がない」って、洗濯物干してるとき(笑)に急に強く感じて、生き方を変えることを心が本気で求めたときに端を発してる。

そうやって求めたら、順番に師に出会って、そうして今こうある。

 

2年前には、「幸せになりたい」のかどうかもわからなかったわたし。

この4月には、「楽しむ」ってことが苦手だなと思っていたわたし。

 

いまは、幸せになりたい、というより、幸せに生きる生き方を自分で選択しているから幸せ。

 

嫌なことややるべきと思っていたこと、正しいと思っていたことをやめて、自分にとって軽いと感じることだけ選択していたら、楽しいことがどんどん出てくる。

 

面白いな~。

 

自分をこんな風に変化させてきたものを、余すところなくアウトプットして「四季ノ空」で提供していけると思うと、わくわくする^^

 

 

 

ふんどし育児のお話し会@恵古箱さん 終了♪

2013年7月に出版させていただいた「ふんどし育児」。

出版後ちょいちょいいろいろなところに読んでいただいてお話し会をしていたのですが、その半年後に2人めを出産したことなどあり、4年ほどしていませんでした。

 

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今回ご縁があり、奈良県かつらぎ市の素敵な古民家カフェ恵古箱(えこばこ)さんにて、久しぶりにお話し会を開催しました。

 

「あ~、楽しかった!」

 

ほんとに、それに尽きました^^

 

1人目2人目は紙おむつだったけれど、3人目でふんどしをしてみようかなということで、1か月半の赤ちゃんを連れて1時間かけてきてくださった方。

図書館でふんどし育児の本に出会い、ずっとやってきてくださって、お子さんは2歳になりもうおむつ(ふんどし)卒業しているのだけれど会いに来ました!と言ってくださった方。

1人目のお子さんを妊娠中の妊婦さん。

など、それぞれの状況それぞれの理由それぞれの場所から、来てくださったみなさん。

 

恵古箱さんのおだやかな気に包まれていたのも大きいと思うけれど、なんていうかな、うん、肯定感。

ゆったりとした肯定感に満ちてた気がします。

 

ふんどしと同じだな~。

 

ふんどしって、パンツみたいに、MだのLだのというサイズのどれに自分は合うかな?って、既成の枠に自分が入っていくんじゃなく、自分の身体に合うように紐を調節する。

ほんとにやさしくて変幻自在。

既成のサイズに合わせる衣服だと、赤ちゃんのおむつにしても、Sサイズのおむつ(紙)が余っているのに小さくなったとか、60サイズの布おむつカバーがもうサイズアウトしたとか、喜ばしい成長が逆にもったいないみたいな感情を抱き合わせちゃう。

 

ともあれ、はい、あったかくほんわかとした雰囲気の中で、話したいことを話したいように話させていただいて、本当に楽しかったです。

 

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この報告をFacebookでしたら、他のところでもやってほしいというお声をいただき、うれしい^^

 

もうこのテーマで活動する気はあまりなかったのだけれど、今回恵古箱さんでお話し会をさせていただくきっかけをいただいたおかげで、5年前の出版時とはまた違ったことを、このふんどし育児のテーマを通して伝えたいという思いもむくむくと湧いて来ています。